2016年4月26日火曜日

イタリア一の"絶景の谷"とは?

*イタリアから投稿しつつ気になるのは九州・熊本の事。こちらイタリアでもテレビや新聞で報道されています。
 イタリアは欧州では珍しく「地震&火山」の国なので、日本の地震への関心も高く、「震源はどのくらい原発から離れているのか?」といった質問までされるほどです。
 イタリアの田園風景で、少しでもイラダチや不安な気持ちをいやしていただければ幸いです。

  <絶景!オルチャの谷とNO.1お値打ちホテル>


  イタリアに来て、自然と人間による美しき風景

に数多く出会いましたが、一番美しい絶景に、ト

スカーナの小さな町ピエンツァで出会いました。

 そしてもう一つ、一番お値打ちの(安くて部屋

などの条件が良い)ホテルにも当たりました!

 フィレンツェからシエナでバスに乗り換えて、

約1時間ほどでピエンツァに着きました。

 人口は約2千2百。東西に400メートルほど

の小さな町ですが、1996年には世界遺産にな

りました。

 ここの名産は羊のペコリーノチーズ。ショーウ

ィンドーには丸くて大きなチーズと、可愛い羊た

ちがいました。(香りもきつい!)

 街の中心のドゥーモのすぐ隣に私たちのホテ

ルがありました。手前にリビングがあり、寝室は

その奥というゆったりさ。冷蔵庫はもちろん、テ

ィーカップやティーバッグも各種あり、自由に飲

めます。








 そして窓から見えたのが世界遺産のオルチャ

の谷。2004年に登録されています。

 盆地の真ん中、丘の上にピエンツァがあり、そ

の周りを緑の草地が囲み、さらにその奥に小さ

な山々があります。









 このホテルは元は貴族の邸宅だったらしく、一階の食堂か

ら出た所に庭とテラスがあり、オルチャの谷を一望できまし

た。





 ピエンツァは、15世紀に、シエナの貴族のピッコロ―ミニ

が、後に教皇「ピウス2世」になった際、故郷の街をルネッサ

ンス風の理想の街にしようと、3年がかりで建設したそうで、

街の名前も自分の名前の一部を使って名づけました。

 この建物は市庁舎です。












 街の見どころは小さな広場に全て面してい

て、市庁舎の直ぐ向かいがドゥーモ。その左隣

が付属美術館です。












 そして右隣はピッコローミニ宮です。

 街が小さい上に、見どころが固まってあるの

で、中をすべて見学しても、数時間でOK。


 ドゥーモの中は光が差し込み、教会としては明るい感じで

す。

 円柱が何本もあり、頑丈に出来ているようです。

 全体に東洋的な装飾を感じました。
















 フレスコ画もなかなか素敵でした。

















 私が気に入ったのは、この祭壇や装飾家具。

 彫が細かく、日本の職人の作品とそん色有り

ませんでした。



 オルチャの谷が良く見える「名所」の一つが、この

カステッロ通りです。

 通りには2軒ほどバールもあり、ビールを飲みながら

ゆっくりと絶景を楽しめました。














  夕食はホテル推薦のトラットリアへ。

 開店から間もない夜7時でほぼ満員でした。

 地元客半分、観光客半分といったところでしょ

うか。

 前菜は生ハムと3種のクロスティーニ。

 内臓ペースト、きのこ、チーズでボゥーノ!

 私のメインはニョッキ&ジェノヴェーゼソース。

 ニョッキが弾力があって美味しく、当たりでし

た。

 カミさんは3種のペコリーノチーズ(羊)の盛り

合わせ。

 生っぽいのと、乾燥系と濃い味と、それぞれ

全く違った味でした。 イチジクなどの少し甘い

乾燥フルーツと合わせていただきました。









 翌日朝、シエナへの帰りのバスが、やはり午

後2時までないので、オルチャの谷へと2時間

ほどのショート・ウォーキングをしました。

 ここは村人たちに愛されている教会です。










 農道をゆっくり進むと、間もなく素晴らしい風

景が見えてきました。

 「何処にでもありそうで、何処にもない」

 ピエンツァの街を緑の草地が囲み、その向こ

うに山々が360度連なっています。


 今の季節は、更に黄色の菜の花が絨毯(じゅ

うたん)のように広がり、美しさを増していまし

た。

 どこまでも歩きたいほど、息を飲む美しき田園

風景。遠くには数キロ離れている隣町が見え隠

れしています。

 聴けば、オルチャの谷は麦畑とか、牧草地も

あるので、季節によって様々な色に変化するよ

うで、初夏や秋に来てもいいかもしれません。

 感動しながらも、心が休まる絶景でした。

2016年4月22日金曜日

フィレンツェのライバル”シエナ”の街

  <シエナは小さめながら、ピリリと”辛い”街>

 トスカーナ州にありながら交通不便なため後回

しにしていた世界遺産の街ピエンツァに行こうと

して、乗り換えのシエナに着いたら、ピエンツァ

行きの午前中のバスが無いことが判明。午後ま

で半日シエナ観光をすることにしました。

 シエナはフィレンツェから南に約50キロ、人口

5万3千の世界遺産の街です。

 13世紀の頃、イタリア国内が皇帝派と教皇派

に分かれて抗争していた時、教皇派のフィレン

ツェと戦い、最終的には敗れて、近代までトスカ

ーナ大公国に属していました。

 金融業や羊毛の取引で栄えた豊かな街でも

あったそうで、「シエナ派」という芸術家たちも支

援していたそうです。



 旧市街は南北に長く約2キロほどあり、かなり

大きな街であったことが分かります。

 城壁や頑丈そうな門をくぐり、商店街を進む

と、やがて街の中心カンポ広場に着きました。

 ここは夏の裸馬のレース「パリオ」で知られる

所で、画面の右側がやや高く、広場はホタテの

貝殻のような形をしています。




 このかつてのブブリコ宮殿、現在の市庁舎側

から放射状に広場が広がっています。













 ブブリコ宮の左にそびえるのが「マンジャの塔」。

 102メートルあり、レンガ造りの階段で一番上まで登るこ

とが出来ます。

 カンポ広場が一望できるのと、前回登った時に霧であまり

見通しが良くなかったので、再挑戦することにしました。











 登って大正解でした!

 中央に見えるのがドゥーモと鐘楼です。

 12-14世紀と、長い年月をかけて完成した

建物だそうです。









 シエナは17地区に分かれていて、パリオはそ

の地区ごとに馬が出て、名誉をかけてレースを

するのだとか。

 広場にマンジャの塔の影が写っています。









 シエナの旧市街は、「シエナ歴史地区」とし

て1995年と、早い時期に世界遺産に指定され

ています。











 塔の最上階まで登るとお目に描かれるのが、

この鐘。「マンジャ」とは鐘つきの頭領の名まえ

から付けられたとか。












 上から見たマンジャの塔の内部です。

 基本がレンガ造りで、階段は石によっては

中央部分がかなりすり減っていました。

 








 下から見たマンジャの塔。

 挑戦するなら、足が丈夫なうちにどうぞ。


 ピエンツァ行きのバスが13時過ぎだったので、少し早目

に旧市街の入り口近くのトラットリアで昼食をとることにしま

した。






 先客に日本人母娘がいて、聴けば娘さんはシ

エナにかつて留学して、ガイドなどもしていたと

か。このトラットリアは地元の人に人気の店だそ

うで、彼女のお勧めの本日のプレートを注文。

 十数種類のハム&サラミの盛り合わせと、

野菜のグリルの組み合わせでした。


 ハム&サラミも変化に富んでいて美味しかっ

たですが、こちらの野菜も美味しい!

 特に小さめの白いチッポラ(玉ねぎ)が甘くて

感激しました。









 私はタリアテッレ&ラグー(イノシシ肉の)。

 甘みがあってこちらも満足。

 心おきなくピエンツァに向けて出発です。

2016年4月19日火曜日

フィレンツェの隣町 ぷらっとプラート散歩

*この投稿を書いた後に、熊本の地震発生のニュースがインターネットなどを通じて入ってきました。熊本には、娘婿の実家があり、また長年交友のある友人一家もいます。
 
 何かできないか?という思いはありますが、現状ではボランティアもままならない状況ですね。
 5年前の東日本大震災の時もそうですが、結局自分のできる範囲で、自分が出来る最善の事をするしかない気がします。

 私は東北勤務が長く人脈も多少あったので、それらの人を通じて、復興に尽くしている人を探し出してインタビュー番組を幾つか制作・放送しました。
 そのお話しいただいた人や、その知人たちが放送を聞いて喜んでくれたことが心に残っていますし、私としても是非続けていかねばと思っています。

 今回の熊本の地震についても同様で、それぞれの人が、自分に出来る最良のことを探し出していけば良いのではと、それが1億集まれば、などと勝手に思っています。

 そんな中ですが、お気楽な写真と原稿で心を癒していただければ幸いです。


 <織物の街、今は・・・・>


 先日、 テレビのローカルニュースの中でプラ

ートの織物博物館を紹介していたのを偶然見

かけて、”ぷらっと”訪ねることにしました。

 プラートはフィレンツェから各駅停車で3つ目

の駅。人口約18万の結構大きな街です。

 駅から旧市街に向かう途中に川があり、釣り

人たちが胴着を着て釣りを楽しんでいました。





 旧市街に入る手前には、高い城壁や、砦の跡

が、しっかりと残されていました。

 










 小さな町なので、少し歩いたら、逆にそこは新

市街への出口でした。(笑)










 こちらがドゥーモ。2,3か月前に法王が国内

行脚したときに立ち寄り、皆に説法したのがここ

のバルコニーです。

 このドゥーモ前がフィレンツェよりも広いスペー

スがあるので、ここを選んだのでしょう。








 この鐘楼も、ドゥーモもなかなかの建築物です。

 ロマネスク様式だそうです。



















 ドゥーモの周辺には多くの伝統的な建築物が

残されています。

 ここはインペラトーレ城。

 特に観光用の施設整備はしておらず、中が見

られないのが残念でした。余り観光には力を入

れる気が無いようです。





 このあたりには他にも、サンタ・マリア・デッレ・

カルチェリ聖堂や、赤レンガのパラッツォ・プレト

ーリオなどもあり、ちょっとした歴史地区になっ

ています。











 中心部から少し外れたところに織物博物館は

有りました。

 ここはその中庭です。











 中に入ると、富岡製糸場を思わせる、日本の

明治時代辺りの大きな機械があり、織物で作ら

れた椅子などもありました。












 これらはその一部で、古いミシンに至るまでの

多くの繊維関係の機械が時代を追って展示さ

れています。













 多くの織物・衣服も展示されています。

 中でも目を引くのは、プラートに赴任した司教

たちの豪華な法衣です。












 この周辺の貴族の衣服、ウェディング・ドレス

なども時代を追って置かれています。














 こちらは色んな織りのサンプル・ブック。

 配色も現代に通じるなかなかのものです。













  面白かったのは少し前のコート類の試着コーナー。

  右の方は影のように作られたボードです。

  左の赤いドアの向こうに幾つかのコートがあり、自由に

 試着できます。

 でも実際着てみると、見た目よりもずっと重く、現代の衣料

品が、いかに「軽く、暖かく」改良されているかが分かりま

す。









 フィレンツェから列車で10分の街、プラート

は、それなりに歴史ある街でした。

 この街の繊維業を支えるため、南イタリアか

ら、次いで外国(ヨーロッパ)から、そして1980

年代後半からは中国人がやってきて、現在そ

の数は1万~2万人と言われ、ミニ中華街もあ

るそうです。



 私たちも街を歩いていると中国人と間違えられ、不審がられました。中国人たちは彼ら同士でま

とまって住んでいて、余り地元の人々と交流してないようなのです。

 なので私たちがバールやカフェに入ると、一瞬ぎょっとされました。(何故中国人がこの店に来た

んだ?という感じ)

 店の人に聞いたら、「中国人はいるが、あっちの新市街の方に住んでいて旧市街には来ない。

日本人観光客もプラートには殆ど来ない。」とのこと。

 まして片言のイタリア語を話す日本人は珍しかったようで、「何故イタリア語を話すのか?どこに

住んでいるのか?」など、色々と質問されてしまいました・・・・・

 プラートは、世界の移民問題とか、中国人の進出とか、様々なことを考えさせられる街でもありま

した。
























































2016年4月13日水曜日

世界遺産 宗教都市アッシジ 日帰りはモッタイナイ!

  <アッシジは色々な魅力あり!>



  フィレンツェから日帰りで行ける街は殆ど訪れた感があり

ますが、最後に残ったのがここ「アッシジ」。

 トスカーナの隣のウンブリア州で、ペルージャに次ぐ大き

な街です。

 ここは日本でいえば伊勢や高野山の様に神社、寺院を中

心とした「宗教都市」です。

 各駅停車で約2時間40分。ゆっくりと田園風景を見ながら

やってきました。旧市街は小高い丘の上にあり、駅からバス

でジグザグと坂道をあがり、このヌォーヴァ門から入りま

す。


 中心部までの道沿いは、土産物から日用雑

貨まで売っているテント張りの店が並んでいま

す。












 アッシジは丘の上に街があり、眺めの良さは

先日訪れた美しき丘の上の街・ウルビーノに引

けを取りません。











 もう一つのアッシジの魅力は、古いたたずま

いの住宅街です。

 裏通りを歩いていると、「中世の街」と言われ

る隣りのペルージャを連想しました。










 さらにもう一つ、絶壁の上にある城塞跡。

 こちらは矢張り城塞からの眺めが素晴らしい

サン・マリノ共和国とそっくりです。

 







 城塞の中に写真コーナーがあり、5月初めに

行われる春祭り、「カレンディ・マッジョ」の写真

がたくさんありました。

 中世の頃の衣装を着た市民の行進です。









 こちらは「ミス・アッシジ」でしょうか?

 中世の衣装が良く似合っていますね。











 楽器もヴァイオリンやタンヴァリンのほか、ギ

リシャでも見かけた、先がくびれて、胴体はマン

ドリンのような楽器が映っています。











 こちらは、いわば城の「本丸」から出先の「塔」

までの通路です。

 人が一人やっと歩けるぐらいの大きさの通路

が中に隠れています。

 ここからはウンブリア州の山々が一望できま

す。遠くの山の上にはまだ雪が残っていまし

た。




 街中に戻って初めに訪れたのが、街の中心のコムーネ広

場にあるミネルヴァ神殿。

 ここはローマ時代に建てられた建物で、現在はキリスト教

会になっていました。













アッシジはもう一つのお楽しみ、ドルチェの味も

中々の物でした。

 中心街の店先のお菓子。焼き菓子系がとても

美味しそうで、2種類買い求めてしまいました。

 値段はそれなりにしたのですが、ナッツ類やド

ライフルーツが一杯詰まって重く、とてもオトク

で美味しいと感じました。



 さて、こちらがアッシジのメインの「サン・フラン

チェスコ教会」です。普通は「ドゥーモ」と呼ばれ

るのがその町の一番大きな教会なのですが、

アッシジは、この町が生んだ聖人・フランチェス

コを偲ぶこの教会が一番です。なので、入り口

には常時警備兵が常駐しています。






 教会の1階は、いわばジョットによる「フランチ

ェスコの生涯」を描いた絵画館です。

 この絵は有名な「ハトに教えを諭すフランチェ

スコ」です。








 中世の聖人・フランチェスコは、アッシジの裕

福な家に生まれた放蕩息子だったそうで、キリ

ストお告げで、一転して贅沢を避ける清貧な生

活を送ったそうです。

 日本にも彼の教えの影響を受けた僧侶たち

が布教にやってきています。(戦国時代にやっ

てきたフランチェスコ会です)



 この教会は地下も大変広く、壁のフレスコ画、

全体のデザイン、中東的な雰囲気の柱など、見

応えがありました。









 教会は、丘の上にある旧市街の外れにあり、

地下階から出ると、大きな広場になっていて、

イスラム的なデザインの廊下が広場の周囲を

囲っています。









 こちらは旧市街地の住宅街で見つけた家の

前の飾り。恐らくこの家の仕事や役割を表して

いるものだと思います。














 アッシジは宗教都市。その代表的なドゥーモ

がこちらです。

 サン・フランチェスコ教会よりは小さいものの、

中々味のある教会でした。








 この教会は訪れる人も少なく、じっくりとファランチェスコの

生涯や果たした仕事に思いをはせることが出来ます。



 













   さらに、もう一つの重要な教会が「サンタ・キアーラ教会」

です。

 清貧なフランチェスコにならって、街の人々のために尽くし

た聖女サンタキアーラを偲ぶために作られた教会です。













 ヨーロッパ]各地に「聖人」をまつる教会は多いのですが、

「聖女」を祭る教会はそれほど多くは有りません。

 それだけ、彼女がアッシジの人に慕われていた証だと思

います。














  フランチェスコの亡き後、その清貧さを継ぐよ

に活躍した聖女サンタ・キアーラは、様々な絵

画などで今も慕われています。

 キリストに加えて、マリアが慕われているよう

に。人間はいつも「母性」を求めるのかもしれま

せんね・・・・・・






 ということで、アッシジは「眺めが良い」「街を

見渡す城壁がある」「古い重要な教会がある」

「市街地が中世風の面影がある」など、訪れる

街として、すべての条件を備えた街だと思いま

した。