2015年10月15日木曜日

世界遺産 その5 ついに「最後の晩餐」と会えました!






< ミラノ再訪 「最後の晩餐」とは初対面 >

 9月初めにイタリアにやってきて、フィレンツェから日帰りで各地を旅してきましたが、少しイタリアでの暮らしにも慣れてきたので、ミラノ周辺まで泊まりがけの旅に出かけることにしました。
 ミラノへは飛行機の乗り換えで何度か来ていますが、街の中を歩くのは約]10年ぶりかもしれません。
 


 以前仕事で知り合ったミラノ在住の知人夫婦(奥さんが日本人、旦那さんがミラノ人)がいて、ミラノ万博が開催中.。
 しかもその方に、前から一度見たかった「最後の晩餐」の予約を取って頂いたので、再訪することにしました。
(インターネットとか電話とかでも受け付けているはずなのですが、実際は大手代理店などが押さえているためか、予約がとても難しいのです)
 



 まずは街の象徴のドゥーモへ。広い広場と大きなファサード(正面)、そして尖がった塔!相変わらず美しい姿です。
 ドゥーモの屋上に登ると多数の聖人たちの像が塔の先にあり、空中に浮かんでいるように並んでいて、まるで別世界(天国?)を歩いているようで、感激したことを覚えています。
 ここは、フィレンツェのドォーもと共に、作家・辻仁成さんと江国香織さんの小説「冷静と情熱のあいだに」の舞台としてもおなじみの所です。

 以前に来た時は団体旅行で時間が限られていたので、屋上を歩いただけで、ドゥーモの中は見学していなかったので、今回はゆっくり館内を歩きました。
 

 このドゥーモはゴシック建築の大傑作で、尖塔の数は135本。
 着工したのは14世紀の後半で、完成したのは約400年以上たった1813年とか。

 中の柱が長大で、何十本とあり、まるで原生林の林の様です!



ステンドグラスも色鮮やかで美しく、パイプオルガンも巨大で、その存在感・姿に圧倒されました。

 世界の教会の中でも、その体積、広さ共に世界第2位だそうです。




 このドゥーモから歩いて5分の所に、オペラの殿堂「ミラノ座」があります。この日はオペラは有りませんでしたが、隣接する博物館が見学可能で、中に入ってみました。



 本物のサロンや図書館、それにかつて舞台で使われた衣裳の展示なども楽しめました。

 オペラの入場券を手に入れるのは難しいそうですが、ネットに電話、あるいは旅行代理店などを通じて頼むとか、様々な購入方法はあるようです。
 
 博物館からは、ボックス席のあたりも、見学可能なのがうれしかったです。





 中の雰囲気はご覧のように豪華そのものです。
 これは3階あたりのボックス席から撮影しました。


やはりイタリア滞在中に、本物のオペラを鑑賞しなければと、あらためて思いました・・・・・・

 

 そして予約時間の19時10分が迫ってきたので、早めに「最後の晩餐」のある「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会」に地下鉄で移動しました。
 教会の見学は約15分間のみ。時間帯によって、英語かイタリア語のガイド付きです。
 教会自体も、ご覧のようにかなり立派なものです。

 
 大きなクーポラが特徴的で、建物が鮮やかな茶色なのも印象的でした。
 この絵は、当時ミラノを支配ていたルドヴィーコ・スフォルツァからの依頼で、ダ・ヴィンチが1495-98年の約3年で描いたものです。







 当時、教会の壁の絵と言えばフレスコ画が多かったのに、ダ・ヴィンチは油絵で描きました。
 しかも遠近法も取り入れ、多くの人物たちのそれぞれの性格を見事に表し、動的に表現したと言われています。
 しかし油絵のため、何度も修復が必要で、最近では1977-99年まで大修復が行われました。
 写真撮影は出来ないので、教会で買った絵葉書の写真で失礼します。
 大きさは横9.1メートル、4。2メートルぐらい。
 かつての修道院の食堂の壁一面が「最後の晩餐」でした。
 

 世界の人々の歴史&芸術の中でも「最高傑作」と言われる絵画を前にして、荘厳な宗教施設に入った時とも共通する、深い感激・感動を味わう事が出来ました。 
 これぞTHE「世界遺産」です!










 









2015年10月8日木曜日

「世界遺産」番外編 2 ボローニャもスゴイ!

  < ボローニャはイタリアのおへそ! >

 モデナの街がこじんまりとまとまっているので、観光が早く済み、帰りに各駅停車で帰る途中、乗換駅のボローニャにちょっと立ち寄ることにしました。

 ボローニャはイタリア半島の中央、フィレンツェよりもやや北側にある交通の要衝の街で、古くから開けていました。
 人口は約37万。エミリア・ボローニャ州の州都です。

 西暦1088年、西欧最古の大学「ボローニャ大学」が設立され、ダンテ、ボッカッチョ、ベトラルカなどがその生徒だったそうです・・・・

 この街の特徴は、柱の廊下「ポルティコ」。学生たちのための部屋を確保するため、柱の上に部屋を作ったのが始まりだとか。
 ポルティコは駅から中心部まで続き、総延長は東西合わせて約45キロもあるそうです。



 現在のボローニャはミラノやヴェネツィアなどを結ぶ交通の要衝であり、靴や美容器具、絵本などの国際見本市でも知られる商業都市でもあります。

 中心部のマッジョ―レ広場の周りは、ポデスタ館、市庁舎(コムナーレ宮)、サン・ペトロニオ聖堂などが立ち並び、見る人々を圧倒します!








 この噴水は「海神ネプチューン」の噴水で、街の人からは「巨人ジガンテ」の愛称で呼ばれています。

 このマッジョ―レ広場(大きな広場の意)は、こうした世界遺産級の建物に囲まれていて、ボローニャが世界遺産にならないのが不思議です。









 訪れた日の午後に、広場の一角で小さなイベントが開かれていました。

 地域ごとに幾つかのグループの若者や少年たちが旗を持ち、音楽隊とともに行進します。
 
 
 









 広場の中央で円陣を組み、その旗を頭上高く放り投げて、お互いの向かい側の人が見事にキャッチする!
 これを繰り返すと、周りの観客から大きな拍手が送られていました。

 ちょっとわかりにくいかもしれませんが、良く見ると旗が飛んでいるのが分かると思います。








 以前にどこかのBS民放で、こうしたイベントに初出場を目指す少年の様子を描いた旅番組を見たことが有りましたので、懐かしく拝見。

 これはボローニャの街の復興に活躍した人への感謝の気持ちを表したイベントの一環だったようです。









イベント後、出演者たちと記念写真を撮らせてもらいました。
 少年兄弟がちょっと恥ずかしそう。兄が弟をしっかりフォローしていたのがとても微笑ましかった。
















 ボローニャは、ローマやミラノについで活気のある経済都市で、今も多くの学生がいるせいか活気のある街でした。歴史も古く、見どころも数多くありますので、今度は途中下車で無く、ゆっくり散策したいと思います。

 あの作家・井上ひさしさんも「ボローニャ」ファンで、亡くなられる少し前に「ボローニャ紀行」という、面白い来訪記を書かれていたのを思い出しました。
 井上さんの本を片手に歩いてみるのも良いかも・・・・・












































































































2015年10月6日火曜日

世界遺産 その4 バルサミコ酢で有名なモデナ

< ”こじんまり”した世界遺産の街・モデナ >

 イタリアに来て間もない私たちは、まずは日帰りで行ける北部の街を中心に、週末ごとに世界遺産の街を旅しています。
 今回のモデナはフィレンツェから北のミラノ方向へ、列車で凡そ1時間半。人口約18万の小都市です。
 ここはモデナ駅です。チョットこぎれいな駅舎でした。
 この街で有名なのは「バルサミコ酢」。10年、20年と寝かした高級品は40ml、100ml単位で何十ユーロかで売られています。
 
もう一つ、この街で世界的に有名なのは、あのイタリアを代表する車メーカーのフェラーリが、この街の郊外マラネッロで生まれたことです。
 私たちは行きませんでしたが、フェラーリ生家博物館やフェラーリ博物館があって、スポーツカーのファンなどが世界からやってきています。


 このモデナの街を歩くと感じるのは、街並みのビルの美しさです。

 フィレンツェが大理石を主としたグレー、フェッラーラが赤レンガの壁の色が目立つのに対して、モデナの建物の壁の色は、黄色、オレンジ明るい茶色など、カラフルで楽しくなります。










 
 さて、モデナの世界遺産といえば「大聖堂」「ギルランディーナの塔」、そしてその前の「グランデ広場」です。
 この写真はその「3S」ともいえます。

 モデナはローマ帝国が興される前から街の歴史が始まり、12世紀には王や貴族を追い払い、市民たちによる「自由都市」となりました。
 その後1288年、フェッラーラのエステ家に統治され、1588年にはエステ家のチェーザレ・エステ公が、フェッラーラからモデナに、その本拠を移しました。

 その後,一時期フランスやオーストリアに占領されたこともありますが、基本的にはフェッラーラ同様に「エステ家」の街と言えそうです。
 まずは写真左側のギルランディーナの塔に登ってみました。






 塔の中は吹き抜けになっていて、ところどころに見張り用の小窓があります。
 このギルランディーナの塔は、自由都市の時代に、市民たちが力を合わせて建設したものだとか。
 モデナは近くのボローニャとともに、社会主義者が多く、いち早く協同組合が設立されたところなので、王侯貴族に対する「抵抗の歴史」が今も残っているのかもしれません。

 階段は200段とか。上から見ると吸い込まれそうで、高所恐怖症の人はのぞかない方が身のためです。



 
 塔の上から下の広場や街並みが一応のぞけますが、窓には頑丈な鉄格子があって、きれいな写真が撮れませんでした。
 
 なので、展望スペースにあったポスターの写真でご勘弁ください。画面下の中央がグランデ広場です。 










 このモデナで一番感激したのがこの大聖堂です。入ると正面に金色のキリストの十字架像があります。
 
 他のドゥーモでもそうですが、イタリアの教会は多くが出入り自由で、撮影もフラッシュさえたかなければOK。
 周りの美術品や絵画も、直接さわれませんが、かなり間近に見られます。







 
 大聖堂の正面の一番奥の天井付近の絵画も見事でした!
 ステンドグラスと相まって、キリスト教徒でなくても、夢見心地にさせてくれます。


 十字架像の奥の下の方には、左右に大理石でできた美しいチャペルがありました。
 思わず柱に抱きついてしまう人もいたほどです。

 イタリア各地に多くのドゥーモがある中で、ここの大聖堂が世界遺産になった理由は納得できました。



























 大聖堂の横はコムーネ(市役所)などがあり、下はポルティコと呼ばれる屋根つき回廊が続いています。

 もう少し駅寄りにはドゥカーレ宮殿もありますが、現在も陸軍士官学校として使われているので、この日は見学不可でした。









 この広場から歩いて数分のところに、かつてのエステ家の別宅「ムゼイ宮殿」があります。
 現在は4階部分が美術館になっていて、「エステンセ美術館」(エステ家の意味)と呼ばれています。
 美術館としては中規模ですが、中の雰囲気がとてもエレガントなので「世界で最も美しい美術館」と評されているそうです。

 美術館の中にはおびただしい数の宗教画がありましたが、それらには少々食傷気味の私たちが熱心に見たのは、エステ家の財宝や豪華な食器などでした。


                              赤いサンゴの装飾品や小物も素敵でした。


   
 歩き疲れた私たちの昼食は、広場近くのオープンカフェで軽めに、ジャガイモの団子風の「ニョッキ&ポモドーロ」、「マグロのサラダ」など。
 ここで久しぶりに、「外がカリッとして、中が柔らかくもちもちした」美味しいパンに出会いました。店の人に訪ねて探したら、このような1キロ単位で販売している大きいパンでした。


 帰りがけに,市の庁舎の一角で、エステ家の昔のサロンの公開が行われていました。
 シャンデリアや壁の装飾の豪華な事!あらためて名門貴族の権勢・財力を感じました。







  このモデナからは世界的に活躍している歌手ルチアーノ・パヴァロッティも出ています。
 小さくても文化的なにおいのするモデナは「愛らしい」街かもしれません。
 
 お土産は「40年物」のバルサミコ酢でしたが、予算の関係で一番小さな入れ物(40ml)で購入しました。

 街の中心部に見どころが詰まっているので、半日か一日あれば十分に楽しめる街でした。



 





























































































































2015年10月1日木曜日

世界遺産の番外編「中世」の街・ペルージャ!

< 丘の上の城壁の街・ペルージャ >

 「ペルージャ」といえば、サッカーファンの方ならすぐに気付かれると思います。
 あの中田英寿選手がかつて在籍し、活躍したセリエAのチームがあるところです。今でも日本人を見ると、「ナカタ」「ナカタ」と声をかけるペルージャ・ファンもいるとか?
 
 ペルージャはイタリア半島の真ん中あたり、内陸の中都市で、人口は約17万。ウンブリア州の州都です。
 ローマ人より早くにイタリア半島に住み、高い文化を持っていたというエトルリア人たちの足跡、その後のローマ時代の史跡や美術が残っているところです。

 旧市街は丘の上の城壁の中にあります。
 そのため、鉄道のペルージャ駅に着いたら、少し歩いて「ミニメトロ」と呼ばれる自動運行の小型モノレールのような乗り物で5分ほど登ります。

 最終駅で降りたら、今度はエスカレーター3本でさらに上に上がり、丘の上の旧市街にようやく到着です。


 ここペルージャには1308年設立というペルージャ大学があり、外国人向けのイタリア語講座があるため、世界各地の若者たちが集まっています。
 












 駅から降りたら、早速大パノラマが見えました。
 ここ旧市街は、ウンブリアの平坦な平野の中の丘の上にあり、周りは7~10メートルぐらいの城壁でぐるっと囲まれています。
 
 このパノラマの素晴らしさは、私の写真の腕では中々表現しきれません。














 街の中心は「11月4日広場」で、大噴水、カテドラル、プリオーリ宮など、見どころががまとまってあります。
 中でも一番高い所にあるのがこのカテドラルです。
 ペルージャは迷路のような道に囲まれていますが、どこでも坂を上に昇れば必ずここにたどりつけるとか。

 プリオーリ宮の中には、イタリアでも指折りという国立ウンブリア美術館があります。
 ここは「ウンブリア派」の画家たちの作品で有名な所です。
 あのラッファエロの師匠でウンブリア出身のペルジーノや、その弟子たちの絵画であふれています。
 多くは修復も進んでとてもカラフルで楽しめます


























 中でも私が興味を持ったのは左の「十字架のキリスト」で、
足元には血まみれのドクロがあります。


 これはどういうことを描いているのか?私にはわかりませんでした。

 少しグロテスクですが、ユーモラスな感じもしたので、ご覧いただくことにしました










 もう一つ、マドンナと幼いキリストの「聖母子」の絵は数多くありますが、13,14世紀ごろまでのマドンナは若くて美しいものの、目つきがあまり優しく見えません。
 
 また、14世紀ごろの赤ん坊のキリストも、お世辞にも可愛いとは言えません。
 中でもこの絵のキリストは個性的な表情で目立ちました。(ちょっとブー?)
 皆さんの感想は如何でしょう?






 それと、この美術館の建物自体が相当古く、ところどころは洞窟のような壁や作りになっています。

 前のフッラーラもそうですが、美術館などの観光スポットを共通で割安で見学できるカードがペルージャにもあります。
 初めに訪ねる施設の受付入り口でカードを一人10ユーロで購入すると、どこでも2日間フリーで楽しめます。







 その他ペルージャには、美術館に隣接して、寄木細工やフレスコ画で有名な「コッレージョ・デル・カンビオ」「商人組合の間」などもあります。
 15世紀の頃、力のあった両替商、商人組合の人たちが北欧から取り寄せた寄木細工で覆われていました。

 右にあるのは、エトルリア門(別名アウグストゥスの門)です。
 紀元前3世紀から2世紀にエトルリア人が建てたものと言われ、紀元後にローマ人によって、上部のアーチが加えられたそうです。
 
 ペルージャはこのような頑丈そうな壁に囲まれていて、壁に沿って歩いても面白そうです。






 昼食は大聖堂近くのピザ屋「ピッツェリア・メディテラーネア」にしました。
 ここは2種類のピザにワインも飲んで、合計14ユーロと安く、ピザの味も今回イタリアに来てからでは一番おいしく感じました。
 若いカメリエーレお客の方に気配りしているのが感じられる店でした。
 広場の辺りでは小さな「洋ナシ」祭りが開かれていて、伝統衣装に身を包んだ少女たちがいました。

 ペルージャはペルジーナ社の「BACI(イタリア語でキスの意)」で知られるチョコレート」の街で、毎年10月にはチョコレート・フェスティバルが開かれています。
 街の中をちょっと歩いたら、チョコレートの店が3軒ほどありました。帰りにその1軒に立ち寄り、一つずつ7種類のチョコを自分たち用の土産に買って帰りました。(美味しかった!)







 ペルージャは世界遺産ではありませんが、周りの城壁、迷路のような中世のたたずまい、街のあちこちで楽しめる「大パノラマ」と、期待通りの魅力的な街でした。

 ペルージャは「また訪れたい」と思うほど、素敵な街でした。
 この少し先が世界遺産の街・アッシジですので、このあたりで泊まって、両方訪ねても良いかもしれません。