<浦和高校柔道部のOB会と、昭和44年春卒業の同窓会>
私は東京生まれですが、中学から埼玉南部の蕨市へ移り、高校は昭和41年春に浦和高校へ進みました。
ここは、旧制中学以来の伝統あり、すでに創立110年を超えています。
浦高は男子校なので、男子校ならではのクラブに入ろうと、私は柔道部に入りました。
当時木造だった道場は建て替わっていましたが、雰囲気は今も伝統が生きている感じでした。
柔道着を着て、試しに受け身をしてみたらクッションが良く、けがを恐れず柔道が出来そうです。
私は柔道部にはまったくの素人から入りましたし、体が細かった(入学当時は170センチで55キロ?)のですが、1年の終わりには初段に合格し、黒帯も取りました。
浦高柔道部が進学校なのに結構強かったのは、面倒見の良い先生や先輩たちのおかげでした。
私が2年の時には、3年生の先輩たちと私の同期の一人の5人で勝ち上がり関東大会に出場していました。
柔道場の一角にある名札。
真ん中の下から2段目に私の名前がありました。
(名前の幹男X→幹雄〇ですが・・・)
この日はわが同期の神田君の発案で、夕方の同窓会の前に道場で落ちあい、「冥土の土産」にと、後輩の道着を借りて記念撮影することに・・・・
同期9名中6名が参加しました。
道場にはOB会の五十里君も駆けつけてくれ、打ち込みの練習にも付き合ってくれました。
私も乱取りなどしたかったのですが、けがが怖くてやめました。
この日の夕方からは、浦和市で21期(昭和44年春卒業)の同窓会に参加しました。
皆一様に髪が薄くなったり、白髪になったりで、名前がすぐには思い出せません。
でも話していると、話し方や性格は昔のままだったりで、笑えます。
名簿を見たら、各クラスで行方不明が2,3名。「死亡」が3名前後でした。
40数年ぶりに会えた友人もいて、名刺やメールアドレスを交換し、またの再会の機会を作りたいと思いました。
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