2015年10月27日火曜日

世界遺産 その7 日本でほとんど知られていない世界遺産の街・ブレーシャ

  < なぜここが世界遺産の街なのか?>

 本題のブレーシャの街の紹介に入る前に、

実家のマンションに3日間泊めていただいた

マッシモ&奥本さん夫妻に「これがミラノなら

ではの朝食です!」と連れて行ってもらっ

て食べ、かつ飲んだのが「バルバヤーダ」。

 ホットチョコレートをまずカップにたっぷり入

れて、上からエスプレッソを注ぎます。上には

たっぷりの泡があって、混ぜると下のチョコレ

ートが溶けて甘く美味しくなります。


 そこに、クリスマスのお菓子としても知られる

「パネットーネ」を付けながら食べるというもの。

 私たちはレギュラーですが、食べるのが早い

 マッシモさんはダブルの「バラバヤーダ」をあ

っという間に食べ終えていました。

 味は意外とエスプレッソ系のカフェとチョコの

相性が良く、美味しく食べました!

 カフェとホットチョコの組み合わせは、トリノの

「ビッチェリン」が有名ですが、こちらの方がコク

があるかもしれません。


 美味しい朝食の後、ミラノ中央駅へ。ここはイ

タリア北部を走る列車が集まるところです。

 まだあちこち改修中ですが、大きくて味のある

イタリア映画でおなじみの「終着駅」という名前

がぴったりする駅で、私は気に入っています。

 今日は、ここからフィレンツェに帰る途中にあ

る「ブレーシャ」という世界遺産のある街で途中

下車することにしました。

 ブレーシャは、ロンバルディア州ではミラノに

次いで大きい街です。



 駅前のインフォメーションで中心部までのバス

を聞いたら、「地下鉄が出来たので・・・」と言わ

れて乗ったのが、この地下鉄です。

 
 地下鉄の駅内のスペースで、高校生たちがイ

タリア・フィレンツェ出身のダンテの作品の朗読

をするイベントを開いていて、大勢の市民が足

を止めて聞き入っていました。

「中々文化的な街」というのが初印象です。


ここはローマ時代の「劇場跡」です。

 ブレーシャは、ローマ時代、中世、そしてルネ

ッサンスの時代に至るまで、ロンバルディア地

中心都市の一つとして栄えました。

 ローマ帝国崩壊後のロンゴバルト族が繁

栄した西暦568-774年の時代を伝える地、

として世界遺産に指定されました。


 

 世界遺産に指定されたのは、ローマ劇場の近

くにある「サン・サルヴァトーレ・サンタ・ジュリア

修道院の複合建築」です。

 ここはローマ時代の遺跡の上に、ロンゴバル

ト族時代の遺跡、そして中世の修道院の遺跡ま

で、幾層に重なっているのが特徴です。




 修道院の中に入って、様々な時代の幾層もの遺跡を見て、世界遺産に

指定された理由に納得がいきました。
 
 ここも一番古いのはエトルスキ人やローマ時代の遺跡で、修道院など

の遺跡の地下の辺りにあります。

 その後の教会や修道院の時代のものも、時代ごとに上に重なり、それ

ぞれが「宇宙」「神」の世界を表現しています。












 中でも私が特に気に入ったのがこの「翼をもった女神」の像です。

 修道院のドームの中には壁いっぱいの美しい絵が施されてい

て、「えっ」と、息をのむ感動でした。
 
 修道院とはいっても、中を見学するだけで3時間以上はかかる

広さと展示物でした。さらにお城に続く庭園も美しく、ほっとした空

間でした。











 

 このブレーシャの街でもう一つ印象的だった

のが「ロトンダ」と呼ばれる旧ドームです。

 ここは12世紀の頃に「巨匠組合」と呼ばれる

有力市民たちが建てた円形の建物(ロトンダ)で

す。




 


 教会には信者たちの座るイス席が円形に並

べられ、その正面に、三層の祭壇がありまし

た。キリスト教がまだ洗練されていない、古い時

代の雰囲気を残している、そんな印象でした。

 ドゥオーモの中には美しい午後の光が差し込

んで、キリスト教徒でなくても幽玄の世界に誘

われます。



 歩き回って疲れたし、おなかも空いたので、カフェで軽い食事を

しました。トマトソースのニョッキと、フンギ(きのこ)のパスタを注

文、イタリア産の軽いビールとも良く合いました。





 ブレーシャを訪れたのは日曜

日だったので、右の写真の市役

所は、中には入れませんでした

が、正面の有名な大時計は写真

に収めました。

 
 このブレーシャでは、街の中心部のあちこちで「蚤の市」が開かれて、アンティークや日用品、衣

料、雑貨、CDやレコードなど様々な物が売られていました。

 世界遺産の街・ブレーシャもまた、「イタリアの文化」の奥深さを感じさせてくれる街でした。












































































































































































































































2015年10月21日水曜日

世界遺産 その6 サヴォイア家の首都・トリノは豪華!

  < 最低3泊しないと廻れない街・トリノ >


 ミラノに行ったついでのつもりでトリノに寄ったら、とんでもなく素晴らしい大きな街でした!
 よくブーツの形に例えられるイタリアですが、その一番上の前の方にあたるのがピエモンテ州で、トリノはその州都。人口は約91万です。
 ミラノからは、少し「ロッソ」より遅めの「フレッチャ・ビアンコ」で1時間半で着きました。
 
 トリノは、人口ではイタリアで4番目、工業ではミラノに次ぐ2番目の近代的な都市です。
 中でもフィアットを中心とした自動車産業が盛んですが、映画産業もここが拠点だとか。

 ここはフランスとの国境が近く、サヴォイア家の領地も、一時は現在のフランスやスイスにまたがっていたとか。
 1720年に、ハプスブルグ家との間で、それまでサヴォイア家が持っていたシチリアと、サルディーニヤ島を交換しました。その結果、トリノは新サルディーニヤ王国の首都となったそうです。
  その後のイタリア統一運動でトリノはその核となり、1861-65年の4年間は、統一イタリア王国の首都となりました。
 トリノについて、多分私たちの記憶に新しいのは冬季トリノ五輪のフィギュアスケート・荒川静香さんの金メダルでしょうか・・・



 「歴史はあるが、工業も発達している」という共通性からか、トリノは名古屋市とは2005年から姉妹都市になっています。
 
 私たちがまず訪れたのは、バスで約1時間のサヴォイア家の夏の別邸「ヴェナーリアの王宮」です。

 バスから王宮まで歩きで約10分。この王宮までの通りの雰囲気が、日本の大きな神社やお寺までの参道の様です。
 通りの左右に、トラットリアや土産屋さんが並んでいました。





  王宮の中は、大きな広間だけで50以上あり、中を歩くだけで、2,3時間かかります!

 これはサヴォイア家が使っていた豪華な馬車で、展示されているだけで6台位ありました。まさに桁外れの財力です。

 中はどの部屋も豪華で、調度品も素晴らしく、私たちは「何これ!」「凄過ぎる!」と感嘆しっぱなしでした。

 こちらは広大な庭園です。バラや果樹園、池や水路が配置され、美しい限りです。

 私たちは乗りませんでしたが、庭園内を1周するバスで、一周約20分かかるそうです。

 宮殿と庭は、フランス・パリ郊外のヴェルサイユ宮殿を思わせる規模とデザインですが、美しさでは負けていないようです。

 ここの中の美術品ですごいのが、「ラファエロ」の作品群で、多くの「聖母子」などの作品が展示されています 



 
 ラファエロの作品たちは、独自の部屋に展示されています。

 中にはラファエロが描いたか、確認されていないものもありましたが、その優しい表情やタッチは、やはり「ラファエロ」のものだとされています。



 別邸の見学の後、私たちはトリノの街の中心に戻って、公式宮殿に行きました。ここは1865年まで王家の宮殿として使われていました。

 この宮殿は、時代によって何度も改築、増築されたため、バロック、ネオクラシック、ロココと様々な建築様式が見られます。









 
 これはサロンの一つですが、豪華な調度品やシャンデリヤ、それに天井まで描かれた絵の数々にため息ばかり出てきました。「サヴォイア家は恐るべし」というのが実感です。

 日本で言えば、サボォイア家は、軍事・財力面、そして「地方の雄」ということから言うと、日本では加賀・前田家か、仙台・伊達家あたりでしょうか。そこに王侯貴族性が加わります。
 さらに言うと、サヴォイア家は、ヨーロッパの中でも歴史ある「王侯貴族」の一つですので、美術品や調度品のセンスの良さも感じます。


 この辺でもう日帰り観光の時間は一杯になりましたが、帰りの列車まで1時間半だけ残ったので、エジプト美術館にも立ち寄りました。

 ここは、サヴォイア家が19世紀に集めたエジプト・コレクションで有名で、エジプト・カイロの美術館に次ぐ規模だそうです。
 「ラムセス2世像」や、多くの石棺、ミイラや装飾品など、カイロよりも保存状態が良く、カラフルなことに驚かされました。
 「何でイタリアのトリノで世界一,二の「エジプト博物館」なの?と素朴な疑問がわきます。 

 エジプトから、価値の高いものの多くがロンドンやトリノなどに持ち込まれていたと思うと、少し複雑な気持ちになりました。



 今イタリア国内を回っている団体旅行の中心は中国人グループ、それに)ドイツ人たちで、日本の団体客のピークはとっくに過ぎてしまったようですが、観光コースに載っていない素敵な街が、まだまだたくさんイタリアにはあります。
 
 大きな街でも、このトリノやジェノバ、ペルージャなど、たくさんあります。
 「もうイタリアは大体行ったよ!」という方には、是非トリノ等に足を延ばしてほしいと思います!





 トリノで目いっぱい観光して、ミラノに戻るのが少し遅くなったので、アパート近くのトラットリアで軽く食事をしましたが、ここで美味しいものに出会いました。
 ここはピザが美味しい店だそうですが、日本で言うと「付だし」のように、頼まなくても出てくるパンの代わりに、ピザ生地を軽く上げた物が出てきました。
 「IMPASTO PIZZA FRITTO」という名前だそうで、中はフワフワで幾らでも食べられ、前菜のハム・サラミの盛り合わせとも合ったせいか、おかわりまでしてしまいました!

日本でも人気でそうなので、どこかのピッツェリアでやってくれないかな?




2015年10月17日土曜日

ミラノ万博2015 行ってきました!

  <  沢山の人、人、人 日本館は大人気! >

 ミラノ万博は、5月1日から10月31日までの半年間、ミラノで「地球に食料を、生命にエネルギーを」をテーマに行われています。
 会場まではFS線(日本のJR)とか、メトロを乗り継いで、中心部から2,30分ですぐ近くの駅まで行けます。


 これまでに約1千万人が入場したと言われる中、最も行列の並ぶパビリオンと言われるのが「日本館」です!
 この日は数時間待ちとかで、あきらめましたが、日本人にはすでに承知のことが多いとか・・・
 この日本館は木材を使用し、立体木格子で建てられています。
 
 ミラノ万博には約140の国と国際機関が参加し、50以上の国や機関が展示をしています。

 会場中央のコーナー近くには、肉・チーズ・野菜などのテーマにそったコーナーやがあります。
 右のこの写真は、「チョコレート・ケバブ」!チョコを削って、三角の袋に入れてくれ、食べ歩きできます。



                                               長蛇の列の日本館やイタリア館を避けて、余り知らない国・いったことのない国からパビリオンを選び、まずイスラエル館に。
 砂漠の国を努力と最新技術で豊かな農業地帯に変えた様子を、女性リポーターと家族の写真などで上手に表現していました。パレスチナの人々への圧迫ぶりを考えると複雑な気持ちでした。 





 次に訪れたのがカタール。石油の豊かな国で、最近はハブ空港で中東の核になっている、そんな程度の予備知識しかない国でした。
 写真のように民族衣装を着せて、写真まで取ってくれるサービスぶりには感心しました








 その他、中央アジアのトルクメニスタン、
南米のチリ、アジアのネパール館など、いくつかのパビリオンを訪ねて、農業や食料の多彩さを感じることが出来ました。




 会場の中央には大阪万博の時の「太陽の塔」に感じが似ているモニュメントがあったのが笑えました。
 ミラノ万博には終盤に来て、数多くのイタリア人や世界からの観光客が来て、行列は更に長さを増しているそうです。
 
 最終的な入場者は分かりませんが、来場者の数だけは目標に近くになるのでは?という印象を受けました。
 
 地元のミラノの人々は、もう何回か会場に来て、各パビリオンの評価もマスコミやお客さんへのアンケート厳しくされているようです。日本館については地下鉄の車中でも「ジャッポーネ」が話題になっているのが聞き取れます。
 
 イタリアの人々にとって、日本は車や電気製品だけでなく、「寿司」「天ぷら」などの「食」でもリスペクトされ、関心も高い、というのが率直な感想です。