< ボローニャの知られざる魅力?>
ボローニャは別名「学問の街」「肥満の街」「赤い街」とも呼ばれることもあるそうです。「学問」は大
学があるから。「肥満」は豊かな食の街だから。そして「赤い」は屋根の色も赤いのですが、政治的
に「左」の人が多かったから、というのが俗説です。
確かに、映画を積極的に誘致し、ロケに協力する「チネチッタ」はここから始まったそうですし、私
のフィレンツェの語学学校も、ボローニャで教師たちが出資して作られたものだとか。市民が自主
的に考え行動する伝統が今も続いているのかもしれません。
ボローニャ在住で作家&漫画家の市口桂子さんの案内
で、あまり知られていない魅力的な場所を訪れました。
まずは「サンタ・マリア・デッラ・ヴィータ教会」。(聖母マリア
の人生?)
の人生?)
中心部からは少し歩きますが、ここにはキリストの死後の
マリアや弟子たちなど、キリストの周りの人々の悲しみをリ
アルに描いた木の群像(彫刻)があります。
彫刻はキリスト含めて7体。中でも一番眼を引
くのは一番右のマグダラのマリアの像です。
恐らく十字架から降ろされたばかりのキリスト
に鬼気迫る表情で走りよる様子が、風で流れる
その衣装からもうかがえます。
当初は、余りにもリアルだったので、教会側が
展示をためらったという話も聞きました。
私は「木彫」という共通性からか、日本のお寺
の門を守る「仁王様」を思い出しました。
その隣の聖母マリアは、愛する”息子”を失っ
た深い嘆き、悲しみが良く表れていると思いま
す。
その右、多分キリストの高弟だと思いますが、
きわめて冷静な表情で、今後の処し方を早くも
思案しているようです。
そしてこちらが、やはり中心部から歩いて数分
の「サント・ステファノ教会群」。
ここは紀元4世紀からルネッサンス期までの7
つの教会がつながっている珍しい教会です。
元々は「聖なるエルサレムの地」へ向けて祈
れるように設計されていました。
ここのプレゼピオ(キリスト誕生のシーンの人
形)は、多くの人々(人形だけでも数百体)でいっ
ぱいでした。
教会の地下は大きくて太い円柱がたくさん
あり、東方、中近東の影響を感じさせてくれま
す。
ここでは何故かスペイン・コルドバの元イスラ
ム教会で、今はキリスト教会になっているメスキ
ータを連想しました。
表に出たらもう夕暮れ時で、二つの塔がライトアップされ
ていました。右が「アシネッリの塔」で、階段で登ると498段
もあり、ピサの斜塔の倍くらいです。
左は「ガリセンダの塔」で、傾きすぎたので上を削ったと
かで、こちらは登れません。
夕食は「タベルナ・デル・ポスティリオーネ」
へ。中心部から歩いて数分の、古い邸宅を改装
した郷土料理の店です。
午後7時に行ったらまだ開店前。7時半からで
したので、近くのメルカートのバールで、つまみ
とビールで食前酒にしました。
これはコトレッタ・ミラネーゼにたっぷりチーズ
を載せた物。
こちらはパスタで、肉や野菜がいっぱい詰め
てあり、ゴンゴンゾーラとノーチ(くるみ)で和え
ています。
ともに味は良かったのですが、昼間の肉の盛
り合わせと食前酒&つまみが効いて、珍しく残
してしまいました。
夜のマッジョ―レ広場一帯はライトアップされ
て去りがたい美しさでした。
これが現役の市庁舎ですから。何とも素敵で
す。
翌朝、国立絵画館に行く途中で、珍しい運河を発見。
ボローニャには中心部を流れる大きな川が無く、運河も
見えなかったので、市口さんに聞いたら、多くが道路や公園
になり、上は舗装されているが、地下でゆったり流れている
そうです。ここは珍しく「水」の姿が見えました。
ここの国立絵画館はスケールが大きく、多くの
宗教画がありました。
これまで何度も「聖母子」の絵を見ましたが、
それぞれ画家や時代によって違うのが面白く感
じました。
絵画館の後、アシネッリの塔に登りました!
階段は狭く、一段一段が小さめなので、思っ
たよりもスムーズに登れました。
ボローニャの街が一望できました。フィレンツ
ェよりも屋根の色の赤みが強い感じがします。
まさに「赤い街」でした。
ボローニャは「食」の街でもあります。
お昼は中心部から歩いて数分の「トラットリア・
レオニダ」で。ここは味と値段、サービスまでそ
ろった名店でした。
これはスピナーチ(ホウレンソウ)入りのニョッ
キ(ジャガイモの団子?)。
私が選んだのが「タッリヤテッレ・アル・ボロネ
ーゼ」。(ボローニャ風のミートソース)
幅広いパスタにソースが良く絡みます。ひき肉
の粒が大きいのが一段と美味しく感じさせま
す。ともにうまみがあり、今まで食べた中でも最
高ランクの満足感でした。
と、食事を終えたあたりで、市口さんからメー
ルと電話の着信アリ。
彼女の知り合いのボローニャ大学教授のパオ
ラさんたちが中心の「ニップ・ポップ」という現代
日本の社会・文化を学ぼうという団体があり、
今日はそのシンポジウムが行われていました。
受付などは学生たちがあたり、会場はすでに
若い人でいっぱいでした。
ゲストは日本の取材を長年している作家やジ
ャーナリストたち5人。
最近の「日本の右傾化」を指摘する若手作家
に対し、「もう少し俯瞰して日本の戦後の歴史を
見るべきだ」と切り返すジャーナリストもいて、
かなり深い議論が行われていました。
この日のテーマは「戦後70年の日本」。会場
入り口には「広島」「長崎」の写真も展示されて
いました。
受付を手伝っていた学生は、来年日本に留
学予定だとか。イタリア人の日本への関心が高
いこと、知識も深いことがボローニャで良くわか
りました。
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