<エトルスキの”謎の墓”を訪ねる>
イタリア国内の世界遺産を全て訪れたいという
思いから始まった今回の「熟年留学」。1年目も
そろそろ中締めが見えてきました。
今回は南イタリアで残された3か所を巡る旅で
す。その手始めが、ローマ郊外約1時間半、ロ
ーマ文明の先輩エトルスキ文化の街、タルクィ
ニアです。
トレニイタリア(日本のJR)のローカル列車で
ローマから約1時間。駅前からチェントロ(旧市
街)までのバスに乗って約15分で到着です。
いい感じの教会もあり、後の街歩きに期待が
持てそうです。
エトルスキ人は紀元前3世紀ごろまでイタリア
中部を中心に住んでいた先住民族で、ローマ
人に土木技術などを伝えたと言われています。
バス停から15分歩いた所にエトルスキ時代
の「お墓公園」があります。
地元の人は「ネクロポリ」と呼んでいます。
エトルスキの人々は、死んだ後も生前と同じ
ように暮らすのだと信じていたようで、副葬品は
生前に本人が愛用していたもの、これからも必
要と思われるものをたっぷりと供えていたようで
す。これらの小屋は、地下の墓に降りる入り口
のために後で作られたものです。
それぞれの墓ごとに特色があり、残された壁画のデザイ
ンや保存状態は様々です。
入り口から地下に降りると、ガラス戸に覆われた部屋があ
り、そこからガラス越しに中の様子をうかがうことが出来まし
た。
(今は中を見ることはできませんが)日本の高松塚古墳な
どを連想させます。
大体は紀元前5-6世紀ごろの墓だそうで
す。
描かれている人物や風景の感じはエジプトの
壁画や甕の絵に似た感じです。
伸びやかな絵がいっぱいで、見ているこちらも
共感を感じる「墓」でした。
お墓めぐりの後は中心街の国立タルクィニア
博物館へ。
こちらはこのあたり一帯を治めていた王族の
家系図。このように木の枝に例えて祖先たちを
讃えるのだそうです。
彫刻類も特徴あり、エジプト的なデザインが見
られます。
中でも題材として多いのが「ライオン」。
アフリカからその存在・強さが伝えられ、家や
墓の守り神として置かれました。
石棺の上にはその人の往時の姿があります。
ローマ時代もそうですが、貴族たちが食事をし
たり、くつろぐ時には、このように横たわってい
るのが一般的だったとのこと。
この博物館で一番有名なのが「カヴァッリ・ア
ラーティ」(有翼馬)。
紀元前400~300年ごろの作品で、今にも
動き出しそう・・・・精巧な技術に驚かされます。
博物館には陶器やアクセサリー類もたくさん
あります。
デザインを見ると、これらも「エジプト」的な感
じがします。地中海を通じて、進んだ文化を受
け入れていたのでしょうね。
展示室のもう一つの目玉は、ネクロポリ(墓の
町)から発掘された壁画の数々。
紀元7~3世紀辺り、エトルリア人たちの楽し
げな様子が、色彩豊かに表現されています。
踊ったり、走ったり、実に躍動感があります。
エトルリア人たちは、後にこの地を支配したロ
ーマ人たちに水道や橋の建設など、土木技術
を伝えたとも言われています。
ローマ人よりも「平和」で「温厚」な民族だった
かも・・・と推測します。
このタルクィニアの街を歩いて驚いたのが
高い「塔」がたくさん残されていることです。
街の人々に聞くと、中世の頃、「防衛のために
沢山建設されたのだ」とのこと。
旧市街には、私が数えただけで10本ほどあり
ました。
タルクイニアの街の「塔」に関する情報は日本
から持ち込んだガイドブックには全く触れられて
いませんでした。もったいない観光資源です
ね。
塔の建つ通りにあったトラットリアで昼ごはん。
海が近く、海の幸が安いので早速注文。
「海の幸のフリット」をレモンで頂いたらとて
もヴォ―ノ!
タルクィニアを旅して、イタリアにはまだまだ魅
力のある街が沢山あることを思い知らされまし
た。
0 件のコメント:
コメントを投稿