2015年9月28日月曜日

フィレンツェのドゥーモが見える絶好ポイント発見!

 < ”ドゥーモ”が見える絶好の場所 発見! >

 フィレンツェといえばやはり「ドゥーモ」を見なければなりませんよね。
 イタリアでは各町に自慢のカテドラルなどがありますが、私がこれまでに見た中で一番印象的だったのが、ミラノとここフィレンツェのドゥーモです。
 そういえば、小説「冷静と情熱の間に」では、この両方が舞台となっていましたので、記憶されている方も多いのでは・・・・・


 街中を散歩しているとき、たまたまドゥーモに差し掛かり、あらためて見てみると,その大きさと美しさ、そして威厳に圧倒されました。

 このドゥーモはフィレンツェ共和国の時代の宗教面での中心でした。1296年から建設が始まり、172年かけてようやく完成しました。
 
 設計は当時の代表的な建築家ブルネッレスキで、丸い大きな屋根を安全に覆うのに大変苦労したと言われています。

 その向かいにあるのが「ジョットの鐘楼」です。
高さは約85メートルもあります。

 中には414段の階段があり、上のテラスまで登ることは可能です。
















 ドォーモの正面・ファサードは、以前に来た時にはあまり印象に残らなかったのですが、今回見てみると、修復がかなり進んだためか、一際鮮やかで感激しました。
 
 画面中央下の、入り口の上の絵もとても素敵です。

 周辺の狭い広場には中国人やドイツ人をはじめとする世界各国からの観光客(団体中心)であふれています。
 これは私からのサービス写真で、ドゥーモと鐘楼の2Sです。  
 左に見え隠れしているのは八角形の洗礼堂で、現在外壁の全面修復工事中です。
 もうすぐローマ法王がフィレンツェに来訪するとかで、それに合わせて修復していると聞きました。
 この洗礼堂が建てられたのはドゥーモよりさらに古く、11世紀から12世紀のものだとか。

 このドゥーモと鐘楼は、フィレンツェの街の中でも、ヴェッキオ宮、サンタクローチェ教会の塔と並ぶランドマークで、道に迷ったらこれらを目安に歩いて、買い物したりしています。











 そのドゥーモの直ぐ近くに、フィレンツェの市立図書館があります。

 ここはフィレンツェ在住25年という、本の修復を手掛けている方からの「とても素敵な所だ」という推薦で訪ねてみました。
 
 入り口前からはドゥーモが見えて、入ると美しいな庭が迎えてくれます。図書館の建物の入り口の直ぐ近くには子供向けの図書のコーナーがあり、親子連れが気軽に楽しめそうです。

 ここは夜は24時まで開いていると聞いてびっくり! 仕事帰りの人がゆっくり読書できますね。
 中にはフィレンツェ周辺の芸術や歴史、文化の本はもちろん、トスカーナ関連のDVDやCDまでたっぷりあります。




 「私たちのような外国人でも利用できますか?」と聞いたら、「滞在の短い観光客は難しいが、滞在者であればパスポートがあれば大丈夫です」とのこと。実におおらかですね!
 
 さらにうれしいのは最上階の3階がサロンになっていて、バールもあります。
 その店にはコーヒーはもちろんのこと、生ビールまで売っていました。
(もちろんサロンで談笑するだけで、飲み物は頼まなくてもOKですが・・・・)

 ここからはドゥーモが驚くほど間近くに見えます! (ここは是非秘密にしたい場所なので、皆さんだけに公開します)







 カメラを構えて、図書館のテラスからドゥーモを撮ろうとしたら、手前のマンションの屋上に人影がありました。
 どうやら住人の方たちが、その屋上にテーブルや椅子を並べてドゥーモの絶景を楽しんでいる様子です。

 イタリアは経済的には苦しいと聞いていますが、この図書館のように、贅沢な空間が外国人も含めて開放されていることに驚きました!

 ひるがえって私たちの国はどうでしょうか?
 経済的には豊かなはずなのに、図書館が働く人のために、こんなに夜遅くまで開いているでしょうか?外国人にも開放しているでしょうか?
 ママや子供たちが利用しやすい環境でしょうか?

 色々考えさせられました・・・・・・

2015年9月24日木曜日

世界遺産 その3 フェッラーラとはどんな街?

< フェッラーラは名門貴族エステ家のつくった街! >

フェッラーラは、フィレンツェと並ぶルネッサンス期の代表的な街だったところで、イタリア中央部・ボローニャから少し北側の中都市です。フィレンツェからも1時間ちょっとで行ける街です。



 朝8時、フィレンツェからイタリア版の新幹線、
フレッチャ・ロッソで快適にボローニュまで35分の短い旅。
 車内は土曜日だったので、家族連れを中心に満員でした。
 
 この「ロッソ」は、最高時速約300キロで、ナポリからローマ、ミラノ、ヴェネツィアなどを南北につないでいます。

 ボローニャからフェッラーラは各駅停車に乗り換えて約1時間の旅でした。
 
 途中の車窓からは、平坦で広々した農地が広がっていました。そのほとんどは麦畑の様です。

フェッラーラ駅から徒歩で約10分。お目当てのエステンセ城です。
 フェッラーラの街は、エステ家のエレコレ1世が、1492年に「理想都市」を目指して、それまでの街を拡張して作ったものが、現代につながっています。
 
 城はニッコロ2世が1385年に建設をはじめ、完成したのは16世紀に入ってからとか。
 平地の中に濠をめぐらせた感じは、長野県の松本城を思い出しました。



 建設当初は「防御」を一番の目的にしていただけに、跳ね橋や広い堀が目を引きます。
 
 フィレンツェあたりの大理石が中心の建物とは違って、城や街中の豪邸たちのほとんどが赤レンガでできています。
 
 城の中には沢山のフレスコ画が残されていますが、あちこちに白っぽいテープで応急処置がしてあるので、不思議に思い聞いたところ、数年前に大きな地震があり、順次修復中だということでした。
 イタリアも日本と同じく「地震国」なのを思い出しました。



 城の直ぐ近くでは市場が立っていました。アクセサリー、食料品、靴やバッグなど、土産物から手作り品まで様々売られています。

 この城の近くには大きなカテドラルや、エステ家の別邸・スキノファイア宮殿、それに今は考古学博物館となっているコスタビーリ宮など、見どころが徒歩圏内に目白押しです。
 それだけに、街中を全て歩いて回ったためか疲れて、帰る前には足が棒のようになりました。








 この日は9月下旬の土曜日とあって、街中では各種のイベントが開かれていました。
 これはクラシックカーのフェスタ!ポルシェ、シトロエン、フィアットなど、50年代から60年代の車約40台ほどが展示してありました。
 
 それにしても、名車のオーナーたちが、観光客の小さな子供たちを乗せてもOKなのには驚きました。
 









 街中の商店街では「ブドウ祭り」が開かれていました。商店街の入り口で、赤いケースに入ったグラスを6ユーロで貰い、各店の前にあるワインやつまみをあちらこちらと、たっぷり味わえるというスタイルでした。

 私たちは列車の帰りの時間があったので、散歩&見学で、飲まずに引き揚げました。ちょっと残念・・・














 お昼ご飯は、ヨーロッパ最古のエノテカというギネスブックにも認定されたらしい「アル・ブリンディシ」で。
 ある記録には、この店はすでに1435年には存在していたとか。
 ここは路上のテーブルが人気です。
 ワイン酒場だったせいか、ビールも置かないという「こだわり」の店でした。グラスワインの赤は3ユーロと安い割には美味しかったです。
 
 この街のパーネ(パン)は、硬くて、食べているとボロボロこぼれるタイプのもので、食べると口が渇いて水やワインのお代わりが必要でした。






 イタリア北部には、フェッラーラのような中小都市が数多くあります。例えばパルマ、モデナ、クレモナ、マントヴァなど。
 その幾つかは世界遺産に認定されていますが、主要な観光コースから外れているためか、観光客の姿は日本人含めてそれほど多くは有りません。
 
 私たちは、「山椒は小粒でピリリと辛い」こうした街を訪ね歩きたいと思います。



2015年9月21日月曜日

フィレンツェで{残念}な事は・・・・・?

中心部に近いサン・トリニタ橋からみた夕暮れ近いカライア橋です。毎日アルノ川は違う表情を見せてくれます。19時過ぎなのにまだ4明るいですね。

 フィレンツェで暮らし始めて、生活面で一番気を使うのは「安全対策」です。私や周りも含めて自転車等の盗難被害にあったり、詐欺まがい、つり銭のごまかしなど、「色々あり」です。
 交通面でも、青信号で渡ろうとしたら、車やバイクが右折左折で結構突っ込んできたりします。まあ、こちらも赤信号でもわたることが多くなったので、どっちもどっちでしょうか。
 
 街路は、せっかくローマ時代から、あるいはルネッサンス期からの美しい石畳なのに、煙草の吸殻やごみ、ペットボトル、そして犬のふんなどが路上に多く見かけます。犬の散歩をさせている人はかなりいますが、「落し物」後末をしている人は1回見ただけです。ああ・・・・・

                          

 アパートの入り口にもしっかりとした鍵がありますが、私たちの部屋にもこのような2重回しの鍵が備えられています。
  
 この横にもチェーンがあり、簡単には中に入れません。その他、台所と寝室、浴室&トイレの仕切り戸にも別な鍵があり、出かけるときにはすべてかけて出て行きます。 












 これは私が主に通学用に使っているデイパックです。簡単に盗まれないように南京錠を付けました。
 こうしておかないと、世界のトップクラスの腕を持つ「スリ」達から、大事なお金などを守れないからです。
 
 家を出るときは、「よーし」と気を引き締めて出かけるようになりました。
 まるで戦いの場に出かけるようで、外を歩いている間は前後左右の人の動きにも注意を払い続けています。











この私たちのアパートは、お湯はふんだんに出るので助かっています。
 
 でも何か物足りないのはシャワーだけしかないからでしょうか・・・・・・たまにはゆっくりお湯につかりたいなと思います。
















 私は、今は大丈夫なのですが、かつて少し「痔」の傾向がありました。
 東京にいた時はお湯洗浄の便座だったので心配はなかったのですが、こちらにはそんなものはなく不安がありましたが、そんな私の救世主がこれ!
 日本では余りおなじみではありませんが「ビデ」です。しっかりたっぷりとお湯が出るので、
「その後」用に使っていて、快調です。












  
 毎日寝るときに悩まされるのが「蚊」です!
 フィレンツェは「蚊の街?」なのです。
 なのにこちらの人々(ヨーロッパ人全体も?)
は、蚊の存在をあまり気にしません。
 授業中も、蚊が前に来た時だけ、軽く振りはらう程度です。

 私のアパートの窓には原則網戸は無く、あっても御覧のように、上の方は5センチほど空いています。
 
 なので夕方帰宅後に、蚊の姿を見たら直ちに殺戮することを心がけています。

 それでもほぼ毎日、寝るときには蚊たちの逆襲にあっています。まだ形勢は不利な状況で、睡眠不足の夜もあります。
あああ・・・・・



 そんな私たちを助けてくれるのは、こちらで購入した色々な道具たちです。

 日本にもあったのとほぼ同じ電気湯沸し、エスプレッソが家庭で楽しめるコーヒーポット。
 ミルクを温める専用ポット(カフェラテ用)。
 
 一番手前のナイフはサラミ&プロシュート専用のナイフです。切れ味抜群で、これでスライスすると、一段と美味しく感じます!!

 少しずつ掃除の道具やシーツ&タオル等をそろえたり、食器も揃えたりして、少しでも快適に過ごせるようにしています。
 
 近所の散歩で見つけたお店も色々ありますので、近いうちにまた紹介します。










2015年9月16日水曜日

世界遺産 その2 ピサの斜塔にのぼったら・・・

 今回の私たちの世界遺産めぐりの旅の市外への手始めは、斜塔で有名なピサにしました。ピサはフィレンツェからは普通列車で約一時間。日本で言うと東京から鎌倉あたりに行く感じで、十分に日帰り圏内です。
 鉄道の切符も切符売り場で並んで買うことなく、駅構内にある売店で、行き先を告げれば買えます。90分以内の所ならどこでも行ける切符で、一人8・2ユーロ(1200円?)でした。


 普通列車にしては部分的に2階建ての立派な車両で、日本で言えば急行か、特急列車クラスの乗り心地でした。

 ピサに近づくにつれ、川とか沼とかがたくさん見えてきます。フィレンツェを流れるアルノ川の下流で、その河口があるのがピサの街なのです。
 昔ピサはヴェネツィア、ジェノヴァ、アマルフィと並ぶ4大海運国だったこともあるそうですが、12世紀頃を過ぎてから衰えて、後にフィレンツェに統合されましたとか。




 「斜塔」ばかりが有名ですが、ピサの中心にあるのはカテドラーレ(大聖堂)や、洗礼堂、納骨堂、美術館などが集結した地区です。「斜塔」も元々はその宗教施設群のひとつだったのですが、「5度」傾いたために「世界遺産」になりました。

この辺りは世界各国からの観光客でいっぱいです。今、目立つのは中国人と、ヨーロッパではドイツ人の観光グループでした。
 多分、もう日本人は主だったイタリアの観光地は訪ねてしまったのでは?
 日本の団体客のピークは過ぎたのかもしれません。

 斜塔に昇るには、着いたらすぐ切符を買う必要があります。(18ユーロ)その時に入場時間を指定されます。
 切符を買ったら隣のロッカー室に、カメラを除くバッグなど全てを預けなければなりません。恐らくテロ対策でしょう。
 
 斜塔には約30分ごとに40人まで入場可で、入り口で並んで待っていたら、近くに警備兵がいました。その車両などを撮ろうとカメラを向けたら、警備兵に見つかり、カメラをのぞかれて、彼らの写真を消されました。
 なのでカッコいい彼らの写真では無く、私の写真で我慢してください。
 斜塔の展望テラス?までの階段は220段、展望台からさらに上の鐘の所まで、さらに37段とか。
階段を上っているとかなりふらつきますので、手すりにつかまりながら登りました。たったの「5度」とはいえ、平衡感覚が思った以上に鈍りました!



 













上の写真は斜塔の上の鐘楼から見たカテドラーレ(大聖堂)と、洗礼堂です。ここからの景色の抜群で、ピサの旧市街も一望できます。

 鐘楼には、ちょっと格好をつけたガードマンが常駐しています。カミさんの要望で隠れた2Sを従順な夫が撮りました。
 


 ここには共通入場券があり、幾つかの施設を好きな組み合わせで選んで入場できます。
 斜塔の切符を買った人はこのカテドラーレの中にもただで入れます。
 
 この中にはピサの歴史を描いたらしい多くの絵画があり、中の白い柱には赤茶系の斜線が入っていて、スペイン・コルドバのアラブ系のカテドラル・メスキータを思い出させます。
 







帰りにピサの旧市街のカヴァリエーレ広場を通ったら、丁度第二土曜で蚤の市が開かれていました。
 骨とう品や古着、手作りの装飾品などがあり、カミさんは興味津々でしたが、私は腹が減ってしまい、文句を言われながらもアルノ川近くのオステリア・デル・ポルトン・ロッソへ向かいました。
 
 路地裏の小さな店かと思ったら、ここは何と12世紀の邸宅を改装した店だそう!
 この極めて狭い路地裏も店の一角です。
(ただ正式な許可とかを取っているかは不明です。)




 このピサは海辺の街なので、フィレンツェには無い魚料理が充実しています。
 写真はスパーダ(イタリア語で剣の意味)と呼ばれるカジキマグロのカルパッチョです。
 私たちはもう一つ、サーモンのカルパッチョも注文。久しぶりの生の魚料理に大満足でした。
 
 ここの経営者と話したら、シチリア島のカターニャ出身だとか。道理で魚料理が得意なはずです。私たちがカターニャに行ったことが有ると話したら喜んで、食後酒の甘いレモンチェッロをご馳走してくれました。
 シチリアからは多くの人々が、北部のレストランなどで働いて成功していると聞いていますが、彼もその一人の様です。


 
 フィレンツェ市街から一番近い市外の世界遺産「ピサ」を、手始めに選んで正解でした。
 この世界遺産を巡る旅は、少しイタリア生活に慣れるまで、フィレンツェ市内や、日帰り圏の街を中心に訪ねてみようと思います
 












2015年9月14日月曜日

フィレンツェで初ごはん!

 私たち夫婦は、以前に海外旅行した時にも日本食が恋しくなることはありませんでした。普段からパン、パスタ、ビールにワインなどが中心だからかもしれません。
 ただ、フィレンツェでは周りに魚介類を売っている店が少なく、選べる食材が限られてくるため、ここ数日何か鬱積が募っていました。
 そんなときに気分転換に使わせていただいたのが「象印炊飯ジャー」です!
 私たちがイタリアに行く時に餞別代りに、イタリア語のチェッリーニの先生、フランチェスコが壮行会の席でくれたものです。近くのコナードというスーパーで買ったイタリア米を炊いて、合わせてタイの仲間の魚や、日本からカミさんが持ってきた焼き海苔や、ゴボウの漬物などを食べて満足しました。

これが象印の炊飯ジャーです。日本に来た中国人がお土産に持っていくタイプで、こちらの22ボルトに)対応した機種で、そのままイタリアでも使えました。
魚はスーパーにはほとんどおいていませんが、隅っこにあったのタイの仲間を見つけて買ったら、ちゃんと内臓は取って下ごしらえしてありました。ただ、魚のサイズが大きくて、家にあった一番大きいフライパンで焼いても尻尾がはみ出す感じでした。





 焼いた後、魚には貴重な醤油を垂らしてみました。もちろんそれは美味しいのですが、代わりにイタリアのバルサミコ酢を合わせても美味しかったです。画面一番下の写真は、何かの魚の「ハンバーグ」のようなものです。
上の左ににあるのがゴボウの漬物、右がキュウリの酢味噌和え?です。
他にもイタリアにはキャベツ、ナス、ホウレンソウなど各種ありますが、同じ野菜でも見た目や味が違うので、戸惑うことがしばしばです。
それにしてもこちらの包丁&ナイフは切れない・・・・どこかで研いでのもらう必要ありますね。

2015年9月13日日曜日

世界遺産 その1 ボーボリ公園の眺めは最高!

 ボーボリ公園からの眺めは最高!

 現在私たちが住んでいるフィレンツェ歴史地区は、1980年に世界遺産登録されたローマ歴史地区やミラノの「最後の晩餐」などに続いて、1982年に登録されました。
 
 街の中を歩くと、フィレンツェはまさに「世界遺産」だらけの街で、ドゥーモ、ウフィッツィ美術館、ヴェッキオ橋など観光名所ばかりです。その他、日本では余り知られていない美術館、宮殿などもたくさんあります。街の中を散歩すると、素敵な教会があり、中をのぞくと素晴らしい祭壇や絵がたくさん飾ってあるのに驚かせれることもしばしばです。

 フィレンツェ暮らしにも少し慣れてきたところで、週末のピクニック代わりに、アパートから3分のピッティ宮のボーボリ公園に行ってみました。




このピッティ宮はフィレンツェの豪商ピッティが建てた豪邸で、後にメディチ家のコジモ1世が買い取ったと言われています。
 メディチ家にはもともとアルノ川の反対側(中心部)にヴェッキオ宮があります。
 そのためj自分たちが頻繁に行き来するために、ヴェッキオ橋の上のお店たちの上に、自分たち専用の「ヴァザーリ回廊」を作ったとか。

 そしてこのボーボリ庭園は、コジモが、自然を愛する妻エレオノーラのために作ってあげたものだそうです。




  さらに奥の方に行くと丘になっていて、そこには「ヴェル・ヴェデーレ要塞」跡があります。
 「ヴェル・ヴェデーレ」とはイタリア語で「素晴らしい眺め」という意味です。
 まさに、ここからの眺めは最高です!
 街の中心部に近くて一番高い丘の上なので当たり前かもしれませんが。お金持ちがこの眺めを独占したのもよくわかります。



 良く観光ツァーでは、この奥のミケランジェロ広場を撮影ポイントにしていますが、ここボーボリ庭園は、入場料はかかりますが、フィレンツェの街が間近に見えるという点では勝っている気がします。
 
 ピッティ宮には、他にも美術館や、銀器・衣装・陶磁器の博物館などもあり、全てを見学するには一日では足りないかもしれません。
 
 私たちも、来年1月から1年間有効の長期滞在者用の年間カードを購入して、時々通おうかと思っています。










2015年9月10日木曜日

フィレンツェで家庭料理

       スーパー、八百屋さんで食材購入して家庭料理を!


 この投稿をしようとしたら、日本は今、台風と大雨の影響で、鬼怒川などが決壊したりして、多くの人が取り残されたり、行方不明者まで出たりで、大変だと聞きました。
 実は下の写真のアルノ川も1966年に大氾濫して、ウフィツィ美術館や国立図書館など多くの教会や施設が被害を受けたそうです。その後に絵画や書籍の修復学校が出来たりして、「修復の本場」になったそうです。
 その体験のせいか、今でもフィレンツェの人は「洪水・氾濫」という言葉にはすぐ反応します。

 
 この写真は登校途中に撮ったアルノ川と、多くの貴金属店のあるポンテ・ヴェッキオ橋です。
 このところ晴天続きなので、流れも穏やかで鏡のようできれいです。このあたりにはカヌーの練習場もあり、朝夕色んな表情が見られそうです。
 
 こっちに来てから2,3日は外食続きでしたが、少しずつ料理道具も整えて、スパーや近くの八百屋さんで購入した食材で、かみさんがフィレンツェ風?家庭料理を作ってみました。


 メインはビステッカ・フィオレンティーナ。(フィレンツェ風ビーフステーキ) 肉代は安売りのため
約4ユーロ程度。その他、トマトとモッツァレッラのサラダ(カプレーゼ)。野菜炒めとショートパスタなど。
 豚肉よりも牛肉が安く、鶏肉はさらにずっと安いのがありました。しかし、魚介類は干物も含めてほとんど見かけません。そのうち中央市場まで出かけて探そうかと思っています。
 その他、オリーブオイルはたくさん見かけるのですが、バターはまだ出会っていません。北イタリアではバターが優勢と聞いていますが・・・?もう少し探してみます。


 下のは 翌日の昼食です。野菜と牛肉の炒めと、買ってきた惣菜(トマトにツナを詰めたもの)、
それに太めのパスタ(タッリヤテッレ?)など。
 学校帰りで疲れているのと、13時まで授業でおなかが空いているので、パニーニのようにもっと手軽に食べられる物の方がいいのかも?とカミさんと話しています。



2015年9月8日火曜日

フィレンツェで食べる!

フィレンツェの中心部を流れるアルノ川。サン・トリニタ橋から見たポンテ・アッラ・カッラーラ橋です。
着いた翌日は少し雨が降りましたが、その後は快晴続き、気温の割に乾燥して日差しが強く感じます。イタリア人が良く日焼けしている理由が良くわかります。バカンスの後なのでよけいかも。


フィレンツェには沢山の有名レストランや、もう少し大衆的なトラットリアがあります。私たちのアパート近くにも地元の人に愛され、かつ観光に来た日本人の間でも評判の店が、近所に2,3か所あります。その一つがクワットロ・レオーネというトラットリアです。
名物料理ばかりですが、私たちが頼んだのはその一つ「パッパ・アル・ポモドーロ(パンのトマト煮?)」「ポルチーニ茸のパスタ」それに野菜のイタリア風天ぷら「ヴェルドゥーレ・フリット」など。
前評判通りの美味しい店で満足しました。二人で予算は50ユーロ位と手頃です。(ビール2杯つき)








2015年9月7日月曜日

フィレンツェのアパートの様子は?


 私たちが2日に入居したアパートは、語学学校の方で私たちの希望に沿って確保してくれた所で、ピッティ宮やヴェッキオ橋にも近い、中心部近くの下町の建物です。
 建築年数は分かりませんが、ビルは5階立てで、多分百年、2百年は経っていると思います。
 
中の壁は白を基調に改装されていて、一応快適です。部屋の中の天井の高さは3。5メートル位あり、壁は白を基調に現代アートなどを幾つか飾ってあります。
 全体としては若い夫婦向きの内装で、60代の夫婦にはちょっと気恥ずかしい感じもします。
 日本風にいうと1LDKですが、入り口入ってすぐの居間は10畳ほどの広さは十分にあり、台所の奥の寝室も、多分10畳程度で、全体で50平方以上は有りそうです。
 
日本と較べても、部屋の広さや足の便など総合的にみても、そう変わらないかもしれません。
 私たちのアパートは、ライフライン(水、電気、ガス等)込で約14-15万円です。
 部屋の中のテレビ、冷蔵庫、それになべやフライパン、食器類はほとんどついているので短期の滞在者に負担が軽いと思います。

 暮らし始めて苦労するのは、鍵のかけ方です。何せ、盗難事件が後を絶たない国なので、鍵は最重要課題で、2回回しや反転など、技が必要ですし、寝室との間やバス&トイレの間にも鍵がありますので、不安を感じたら閉めています。台所で面白いのは流しの横に洗濯機があることです。


居間にはソファが大小二つあり、ちょっとした腰掛や、台所の椅子も含めると、10人位のホームパーティは出来るかもしれません。


 
 

2015年9月5日土曜日

フィレンツェ暮らしのスタート

フィレンツェに着いた翌朝、街の中心部を流れるアルノ川沿いの
ホテルの中庭をバックに食事です。

朝食後に語学学校に挨拶に行き、 アパートに引っ越ししました。アパートは観光客が多いピッティ宮やヴェッキオ橋にも近い所にありますが、この辺りは職人さんや八百屋さんなど個人商店の多い下町です。
 その街角を歩いていたら、何故か「GUCCI」の表示がありました。工房か何かとと思ったら、新製品の展示場として使われているところだそうです。
 すぐ近くのサン・スピリト広場では衣料品や雑貨の市が午前中に立っています。八百屋さんなどは夕方まで営業しているので、早速利用してみました。新鮮な野菜・果物があるので、近くの肉屋さんと組み合わせるといいかも?



 2日は学校の後、アパートに引っ越ししました。そこで大家さんに色々説明してもらいました。彼はまだ40代前半で、本職は弁護士とか。
 アパートの鍵のかけ方などの説明を聞いた後、再び学校に戻り、私たちの滞在許可証の申請書類の準備です。事前に学校の女性校長が書類を郵便局で買っていろいろ書いてくれていたので、追加で空欄を埋めて、一応準備完了しました。
 その後、街の中心部にある、TIMという日本で言う「NTTドコモ」のような会社に行き、スマホの契約をして、SIMカードを入れてもらいました。ただ、この時点ではラインやフェイスブックがうまくつながらず、メールもアパートの構造や位置によってはつながりにくく、大変でした。どこでも当たり前につながる日本との違いを再確認しました。
 今日の午前中は、学校側の配慮で、フィレンツェ在住の女性がエスコートしてくれました。フィレンツェ在住16年、日本人の旦那さんとともに、ワインの輸入や通訳などの仕事をしている方です。 色々な手続き後に、中心部シニョーリ広場にあるにあるGUCCIのカフェで昼御飯です。
 イタリアのビールが意外と美味しく、サラダ、パスタ、パッパ・ポモドーロ(パンのトマト煮?)などを楽しみました。