2017年6月24日土曜日

北欧・ノルウェーの旅2 水上レストランと民俗博物館

  <友人との再会と、ノルウェーの北方民族サーメ文化>


 フィレンツェの語学学校には世界中からイタリア語を学びにやってきますが、中でも小国ながら生徒が多いのが北欧のノルウェーです。
 そんな中で仲良くなったノルウェーの友人の一人がニーナさん。気配りのできる頭の良い大人の感じ。
 そんな彼女が「ノルウェーを好きになってもらうためにオスロの良きところを案内する」と、車で郊外まで連れて行ってくれました。
 待ち合わせはオスロの中心通り「カール・ヨハン通り」。銀座と渋谷を合わせたようなデパート、レストランの並ぶ1直線の道です。

 彼女のベンツで湾に沿って車で約20分。

 小さな島にあるレストランへ。
 これも小さな渡し船で渡ります。


 眺めの良い席にも恵まれました。

 気温は22度前後。風がさわやかです。
 日本人は日陰を好みますが、ノルウェー人は反対に、日当たりの良いところを選びます。
 彼女曰く「ビタミンを体が求めているから」とのこと。

 ニーナさん,お勧めのメニューは魚介類のスープ。
 小さなエビや貝などがたっぷり入ったクリームスープ。ノルウェーで食べた料理で1,2番の味でした。

 目の前を多くのクルーズ船やボートが行きかいます。

 「夏」を心待ちにしていたオスロの市民が、一斉に各地に繰り出しているようで、どこも市民でいっぱいでした。

 

 このビィグドイ地区には、バイキングやコンチキ号など、多くの博物館があります。

 私が訪ねたのは、ノルウェー中から集めた伝統的建物を展示している「ノルウェー民俗博物館」。



 
 一番の見どころはこの木造の教会です。

 1200年前に建てられ、屋根には魔よけの龍頭があります。









 
 中にはしっかり、「最後の晩餐」の絵が描かれていました。

















 「木造」ということで、日本の家屋とも似ているところがあります。
 こちらは高床式の家。
 
 スカンジナビア半島の北部には、サーメと呼ばれる北方民族が今もいます。
 その衣装を見ると、日本のアイヌ、
樺太アイヌと道具も含めてよく似ています。






 彼らはトナカイ、鮭などをメインに暮らし、特に熊は「神」のように崇め、殺した時には「天に送る儀式」をしたそうで、その宗教観も良く似ていると思いました。



 屋根は樺の木の皮を何層も敷き詰めて、その上に土を盛り、その後草が生えて雨除けをしてくれるようです。



  オスロは人口約60万。
 近代的な街ですが、すぐ郊外には自然がたっぷりあると感じました。



45年ぶりの北欧・ノルウェーの旅1 ムンク美術館

 <朝から”お得な”植物園とムンク美術館>


 ここはオスロの中央駅前で、メトロ、バス、トラムの発着点です。1週間の旅の始まりです。
 ノルウェーにやってきたのは45年ぶり!
初めての旅はまだ22歳になったばかりの大学生の時でした。

 着いたのがもう夜7時(とは言っても明るいのですが)だったので、駅近くのベトナム料理店へ。

 ノルウェーはとても物価が高く、地元料理の種類も限られているので、タイやベトナム、インドなど、アジアンテイストの料理店はノルウェー人にも人気があります。

 ここもその一つ。
 春巻き添えのフォー。味も以前にハノイで食べたのに似ていて、美味しかったです。

 ただノルウェーはアルコール系の飲み物に冷たく、夕方6時以降はスーパーなどでも販売禁止。レストランでは小瓶1本が千円以上します。

 ムンク美術館が開館するまで1時間近くあったので、その向かいにある植物園(研究施設)でお散歩しました。

 これが拾い物!各種の花々がいっぱい咲いていました!









 園内には池や小川もあり、絶好のウォーキングコースです。











 それぞれの花や木々には名前も表示されています。















 後でノルウェーの友人に聞いたら、「その植物園は知らない、行ったことがない」 と言われました。
 
 素敵なところに、誠に良き季節に偶然出会えてラッキーでした

 朝10時、ムンク美術館の開館です。
 公園内にひっそりとあります。
 
 ここは1963年、生誕100年を記念して開館しました。
 ムンクは死にあたって、手元にあったすべての作品をオスロ市に寄贈したとか。

 有名な「叫び」は国立美術館にありますが、ここにはその他の膨大な量の作品を収納しているとか。

 ここから外国への貸し出しも多いそうです。

 初期のころの作品は風景、人物共に「まっとう」な印象ですが、晩年になるほど「個性的」描き方になってきます。

 こえおも表情が「叫び」と通じるところがありますね。
 姿が亡くなった母と姉に似ているような・・・・

 こちらは珍しい版画の作品です。

 ここの美術館の一番人気の作品です。

 ムンクの自画像です。
 少年時代に母と姉を相次いで病気で亡くし、彼も病弱で、精神的にも追い詰められていたそうです。

 そんな中から、「叫び」をはじめとする彼の傑作が生まれたのですね。

 ここでは、有名な名作は少なかったのですが、多くのタイプのムンク作品に出会えました。

2017年6月14日水曜日

わが友はレオナルド・ダ・ヴィンチさん!

  <これぞ”トスカーナ”の美しき田園!>

 昨年秋、フィレンツェからパリに向かう途中の飛行機内で知り合ったイタリア人家族と、先日再会しました。
 彼らはフィレンツェから列車で約30分のエンポリ、そこから車で約15分の「ヴィンチ村」に住んでいるとか。
 ヴィンチは人口約1万2千の小さな村ですが、あのダ・ヴィンチの生まれた村として知られています。
 この「ダ・ヴィンチ」とは、イタリア語で「ヴィンチ村の、出身の」という意味です。この家族のご主人名は「レオナルド」なので、この方も「レオナルドダ・ヴィンチ」とも言えますね!


 村に着いたら、早速彼の友人という村長さんにご挨拶。
 その後村の職員の案内で、村役場近くの村一番の教会や、昔の城跡で今は博物館になっている所などを見学しました。








 博物館には、ダ・ヴィンチが残したデッサンや設計図を基にした人体解剖図、人力飛行機、自転車、各種の機械などの再現、展示が目を引きます。




 ダ・ヴィンチは好奇心が旺盛で、あらゆることを創造するのが好きだったらしいのです。
 例え彼に依頼があって貴族の顔を書いていても、他に好奇心がわく物があると、それを未完のままにしていたらしく、報酬も受け取れず意外と貧乏だったとか。(必ず完成させていたミケランジェロの方がお金持ちだったそう?)

 教会に隣接した鐘楼からの絶景です。
 まさに360度のパノラマで、私が見た中では、イタリアで1,2を争う美しさです。

 「これぞトスカーナ」というイメージ通りの風景が独り占めです。












 ここで記念写真。周りはオリーブと葡萄の畑が広がり、トスカーナ独特の緩くうねった丘が連なっていました。

 息子さんは弁護士資格を持ち、ロンドン含め、各国で現在も修行中だとか。






 レオナルドさんの運転で、小さな山のふもとにある彼らの家にお邪魔しました。
 何と、この家の大部分は彼の手作りで、築20年。今も少しずつ改装したり、増築したりしているそうです。
 彼は元先生で、現在は私と同じ年金生活者ですが、こんなに器用とは驚きです。
 イタリア男、恐るべし!


 
 家の裏山には100本余りのオリーブの木があり、自宅や親せきの分まで賄えるそう。




 他にもザクロやサクランボ、それに日本原産?の枇杷の木まであり、近くの庭はまさに「フルーツ園」です。

 家の裏にはピザ釜や炭火焼きの小屋までありました。
 ピザを焼く道具も本格的です。

 午後1時過ぎから昼ご飯開始。
 まずは各種のプロシュートやソーセージの盛り合わせから。

 トスカーナ名物「クロスティーニ」。
 言わば小さめのオープンサンド。
  レバーペーストやキノコなどが載っています。

 今日のパスタは少し太めのスパゲッティのタッリャテッレに、ポルチーニをはじめとする各種のキノコ添え。

 このキノコが美味しい!

 メインは「ビステッカ・フィオレンティーナ」。

 先ほどの作業小屋でレオナルドさんが焼いてくれました。1キロ近い骨付き肉。日本のレストランでいえばTボーン・ステーキです。

 肉はトスカーナ特産の「キアーナ牛」で、脂肪が少ない赤身ですが、甘みがあり、食べた後に見た目ほど重くありません。

 デザート用に、今が旬の枇杷を収穫。

 これもお父さんの仕事です。









 できた料理をサーブするのもお父さんでした。
 地元ヴィンチのワインと共に美味しくいただきました。


 デザートは庭のフルーツと、このティラミス。甘さ控えめで満腹になるまで、美味しくいただきました。

 昼飯が終わったのは午後4時半。3時間半の食事の後、とどめにダ・ヴィンチの生家へ。
 ダ・ヴィンチは、お金持ちの祖父母に育てられたそうで、高台にある今から見ても立派な家でした。

 昼ご飯の最後の頃にフィレンツェから大学内の試験を終えて帰ってきた娘さんキアーラと共に記念撮影。

 イタリア人らしく陽気でやさしい,現代の「レオナルド・ダ・ヴィンチ」さん一家でした。